2026年度診療報酬改定では、幅広い職種を対象に2026・2027年度それぞれ3.2%のベースアップ目標が設定されました。
そのなかで、看護補助者と事務職員については+5.7%という、他職種より高い目標が設定されています。
この差の理由が何なのか、院内で説明できる状態にしておくことは、賃上げを円滑に進めるうえで欠かせない準備になります。
説明が不十分なまま周知だけを進めてしまうと、制度の趣旨とは関係ないところで、職種間の摩擦が生じるリスクがあるからです。
本記事では、+5.7%という目標が設定された背景を労働市場の実態から整理したうえで、院内周知の手順と人件費設計の実務について解説します。
なお、本記事の内容を含め、医療・介護の求人サイト「ジョブメドレー」を運営するメドレー社から取材を受けました。以下のリンクから記事が閲覧できますので、ぜひご一読ください。
▶ 取材記事:「【2026年度診療報酬改定】給料や仕事内容、働き方はどう変わる?現場の疑問に専門家が回答」(ジョブメドレー)
非資格系職種をめぐる労働市場の現状

今回の賃上げ目標における「数値の差」を理解するには、まず医療機関が非資格系職種(事務職・看護補助者等)の労働市場においてどのような状況に置かれているかを確認する必要があります。
賃金水準の比較
ここでは、厚生労働省が運営する職業情報提供サイト「job tag」の情報をもとに比較していきます。
下の表は、病院やクリニック等で働く「医療事務」と、医療機関以外の事業所等で働く「一般事務」の賃金を比較したものです。
| 職種 | 賃金(年収)※令和7年 | 求人賃金(月額)※令和6年度 |
| 医療事務 | 528.7万円 | 19.9万円 |
| 一般事務 | 541.4万円 | 20.8万円 |
さらに、医療機関の「看護助手」と、レストランで働く「ホールスタッフ」の賃金を比較した表がこちらです。
後に触れますが、筆者が東京都内の病院で採用担当をしていた際に、調理補助とともに看護助手の求人も外食産業の求人とバッティングした経験があるため、この2職種を比べています。
| 職種 | 賃金(年収)※令和7年 | 求人賃金(月額)※令和6年度 |
| 看護助手 | 337.1万円 | 19万円 |
| ホールスタッフ(レストラン) | 371万円 | 25.4万円 |
ご覧のとおり、医療機関における非資格系職種の賃金水準は、一般企業や飲食業と同等かそれを下回る水準にあることがわかります。
事務職や看護補助者は、同等もしくは類似のスキルで他産業に移ることが可能です。
他産業が賃金を引き上げる中、医療機関の水準が相対的に低いままであれば、採用競争で不利になるのは避けられません。
引用:ホームページ | 職業情報提供サイト(job tag)
※統計データ(賃金、求人賃金、有効求人倍率)は、職業分類ごとに集計された国勢調査、賃金構造基本統計調査、ハローワークの求人データを必要に応じて加工し、その職業の主な職業分類に対応する統計データを掲載
有効求人倍率の推移
同様に「job tag」の情報から、医療機関の非資格系職種(医療事務・看護助手)と他産業職種の有効求人倍率を比較しました。
| 職種 | 有効求人倍率 ※令和6年度 |
| 医療事務 | 1.61 |
| 一般事務 | 0.3 |
| 職種 | 有効求人倍率 ※令和6年度 |
| 看護助手 | 4.12 |
| ホールスタッフ(レストラン) | 2.91 |
いずれも医療機関の非資格系職種の方が、相対的に有効求人倍率が高いことがわかります。
つまり、求職者側がより多くの中から自分に合った職場を選べる状況になっているということです。
医療機関が処遇面で他産業に見劣りする状況が続けば、今以上に応募そのものが集まらなくなるリスクが高まります。
筆者が都内の病院で採用を担当していたのは、2015年から2019年初旬でした。
当時は、ちょうど2020年東京オリンピックを控え、特に外食産業が好条件で雇用を増やしていた時期です。
私が働く公的医療機関が提示できる条件は極めて限定的でした。
相対的に条件面での訴求が困難な状況の中、厨房で働く調理補助員とともに、看護補助スタッフにまで人材獲得競争の影響が及んでいたのです。
2040年に向けた需給見通し
厚生労働省によると、2040年には65歳以上の人口が全人口の約35%になると推計しており、医療・介護需要は今より大幅に増加する見通しです。

一方、生産年齢人口(15〜64歳)は減少が続きます。
医療需要が増える一方、働き手の総数が減るなかで、資格の有無にかかわらず人材確保が困難になることは、すでに統計上も明らかです。
制度設計の意図——「公平性」ではなく「重点配分」

労働市場の実態を踏まえると、今回の看護補助者と事務職員に対する「+5.7%」という高い目標設定の意図が見えてきます。
これは特定の職種を優遇したものではなく、採用が特に困難な職種への重点配分として設計された政策的な判断だと言えます。
過去の処遇改善との比較
ここで、これまでの処遇改善の経緯を振り返ってみましょう。
2022年10月の改定で新設された「看護職員処遇改善評価料」では、支給対象から医師や薬剤師、そして事務職が外されていました。(看護補助者は支給対象)
さらに、2024年度の改定で新設された「ベースアップ評価料」では、薬剤師が支給対象とされるも、医師と事務職は相変わらず対象外とされました。
医療機関における診療報酬上の賃上げ支援は、当初から看護職やコメディカルなどの医療関係職種を中心に設計されてきたという経緯があります。
しかし、今回の2026年度改定では「ベースアップ評価料」の対象範囲が大きく広がり、
- 40歳未満の勤務医師・歯科医師
- 薬局薬剤師
- 事務職員
までを含む「病院全体での賃上げ」という形になりました。

事務職が処遇改善の対象として明示されたのは、今回が初めてのことです。
ようやくここで、国も事務職を「医療提供体制を支える不可欠な人員」として位置づけたと読むことができそうです。
以下の記事では、病院事務職が知るべきキャリア形成の考え方について解説しています。

ベースアップ評価料の構造
今回の賃上げを支える財源がベースアップ評価料ですが、言うまでもなく、加算の届出をしなければ、賃上げに充てる原資が得られない仕組みになっています。
つまり、「算定しない選択」をした場合、事実上「職員の賃上げ財源を失う」ことを意味します。
本体部分+3.09%となった今回の改定からは、医療機関に「何が何でも賃上げせよ」という強い政策色・メッセージ色を感じます。
制度上、算定して得られた収入は、賃上げ分として全て吐き出さなければなりせん。さらに、相当額の費用の持ち出しも想定しておく必要があります。
しかし、職員の定着や欠員補充で他の医療機関に後れをとらないためにも、今回の改定では、多くの医療機関が届出せざるを得ない流れになるのではと考えています。
手続き面でも変更があります。これまで必要だった届出時の「賃金改善計画書」が不要になり、制度の入口が簡素化され、算定の事務的ハードルが下がりました。
その代わり、例えば2026年6月以降にはじめてベースアップ評価料を算定する場合、以下の手続きを踏む必要があります。
- 2026年8月中に2026年度「賃金改善中間報告書」を提出し、6~7月の時点での賃上げ状況を報告
- 2027年8月中に2026年度「賃金改善実績報告書」を提出し、2026年度の実績を報告

院内説明の枠組みとして使えること
上記のとおり、制度の設計意図を正確に把握しておくことは、院内説明の枠組みを作るうえで直接役立ちます。
「3.2%と5.7%の差は不公平ではないか」
という疑問に対しては、
「職種ごとにある採用の難易度と他産業との競合の状況に基づいた重点配分であること」
「病院全体の人材確保を目的とした戦略的な投資であること」
といった説明が、制度の趣旨に沿う回答になると考えます。
感情論ではなく、労働市場の実態と制度の目的を軸に説明することが、職種間の摩擦を避けるための基本的な対応になります。
院内周知の手順

本改定に伴う賃上げに際し、院内周知で最初に決めておくべきことは、「何を伝えるか」ではなく「どの順番で誰に伝えるか」です。
管理職が制度の内容と説明の枠組みを理解せずに現場へ周知してしまうと、各部署で異なった解釈が広がり、後から訂正する労力・時間が大きくなることが予想されます。
院内周知の流れ
周知の基本は、「上から下まで、丁寧に段階を踏んで落とし込んでいく」ことです。
① 管理者会議
↓
② 幹部会議・医局会
↓
③ 各部署への展開
「①管理者会議」では、制度の内容の共有に加え、「職種間の賃上げ率の差をどう説明するか」という共通の説明の枠組みを決めておくことが重要です。
ここで枠組みが揃っていないと、部署ごとの説明でバラツキが生じてしまいます。
前の章で整理した「重点配分」という制度の趣旨を、管理者層全員が自分の言葉で説明できるように意思統一を図ります。
「②幹部会議・医局会」では、医師を含む各部門の責任者に対して、事務職や看護補助者が担っている「タスクシェア/シフト」や「DX推進」への貢献を具体的に示すことが有効です。
「なぜこの職種に+5.7%という高い水準が必要か」を、労働市場の実態と自院の業務実態の両面から説明できると、管理職層の理解が得られやすくなります。
「③各部署への展開」では、文書配布だけでなく所属長による口頭説明を組み合わせると、スタッフ一人一人に制度の意図が伝わりやすく安心です。
経営トップが直接語る場を設ける
院内周知において、経営トップである院長が自分の言葉で賃上げの意図を語る場を設けることは、管理職経由の周知とは別に効果があると考えます。
「国が決めたから実施する」ではなく、「自院として職員の処遇をどう考えているか」を院長が直接伝えることで、「制度対応ではない経営判断としての賃上げである」というメッセージになります。
「病院全体として人材を確保し、医療を継続するための戦略的投資である」
「看護補助者や事務職は、病院の土台を支える不可欠な存在である」
「他産業との人材獲得競争のなかで、今の処遇では守りきれない」
こうした院長の生の声は、職員に強く響きます。
ともすると、看護補助者や事務職は、普段の業務でスポットライトを浴びることが少ない職種であり、他の職種と比べて給与単価が低い傾向にあります。
お金のためだけではなく、「誰かの役に立ちたい」という想いで働いている人が多いのは確かです。
しかし、インフレがここまで進んでしまった今日では、内発的な動機付けだけではなく、これに「適切な処遇」が加わることで、自院へのさらなる貢献意欲が湧き上がるきっかけになるはずです。
以下の2つの記事では、医療従事者に対するモチベーション管理の重要性と、内発的動機付けの実践策について解説しています。


支給・人件費設計の実務

ベースアップ評価料の算定で得られる原資をどのような形で職員に支給するかは、各医療機関の判断に委ねられています。
ただし、選択する方法によって職員の納得感、経営上のリスク、制度の趣旨との整合性に差が出る可能性があります。
ここで主な選択肢と、それぞれの特徴を整理します。
支給方法の三択
選択肢①:基本給のベースアップ
基本給のベースアップは、国が「継続的な賃上げ」を制度の趣旨としていることと最も整合しており、人材確保の観点からも職員の納得感が得られやすい方法です。
ただし、一度引き上げた基本給は簡単に下げることはできません。
自院の業績悪化や、仮にベースアップ評価料自体の廃止といった事情が生じたとしても、基本給の引き下げは労働契約法上の「不利益変更」にあたるため、法的なリスクが伴います。
原資の見通しを慎重に確認し、必ず賞与の上振れ分も加味したうえで、賃上げの設計をすることが強く求められます。
●労働契約法
第九条 使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。
第十条 使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。(以下、省略)
選択肢②:処遇改善手当・ベースアップ手当の新設
「処遇改善手当」や「ベースアップ手当」といった名目での支給で、多くの医療機関が採用している方法です。
前述した基本給への組み込みより柔軟性があり、支給条件や対象者の設定がしやすい方法と言えます。
ただし、「基本給に反映されない手当」という受け取られ方をする場合もあるため、賞与への反映の有無を含めて職員への説明が必要です。
制度の原資と手当の対応関係を明確にしておくことが、後のトラブルを避けるうえで重要です。
選択肢③:一時金での支給
一時金単独での支給は、「継続的な賃上げ」というそもそもの制度の趣旨に合っているとは言い難い対応です。
そのため、一時金で出す場合、ベースアップ評価料の収入が予想より上振れした際の調整弁として、基本給や手当と組み合わせる形での活用が現実的です。
傾斜配分の考え方
支給対象や支給額に傾斜をつける場合、「等級・階層による差」を基準にする方法が実務上扱いやすい設計となります。
「○級以下に支給する」
「管理職手当のつかない職員に多く支給する」
上記のように、手取りの少ない層に確実に届けるイメージで設計することが、人材確保という制度本来の目的に沿っています。
筆者が総務を担当した地方の中規模公的病院では、管理職手当が出ない医療職(副看護師長・主任等以下)を支給対象に「処遇改善評価手当」の内規を定め、その中でも役職がつかない職員により多くの金額が渡るよう支給していました。
さらに、特定の役割(DX担当、夜勤従事者など)への上乗せを設ける場合は、その基準と根拠を規程に明記しておくことが必要になります。
口頭での運用は、後々の労務トラブルの原因になるため避けるべきです。
法定福利費を含めたトータル設計
基本給や手当を引き上げると、社会保険や労働保険料に係る事業主負担も連動して増加します。
そのため、ベースアップ評価料の収入額と賃金改善額の対応関係を整理する際には、法定福利費の増加分を含めたトータルの人件費で計算しなければなりません。
評価料収入の範囲内で賃上げしたつもりが、法定福利費を加えると大幅に超過していたというケースは実務上想定できます。
- 原資の配分ルールの確定
- 法定福利費の試算
- 給与規程の改定
——この3点をセットで進めることが、持続可能な人件費設計の基本となります。
まとめ

本改定における非資格系職種への「+5.7%」という目標は、特定の職種への優遇ではなく、労働市場の実態に基づいた重点配分です。
この前提を院内で共有できているかどうかが、賃上げを円滑に進められるかどうかの分岐点になります。
賃上げは、制度対応として処理するだけでは不十分です。
採用・定着の戦略として位置づけ、「支給方法・配分ルール・職種間の説明」をセットで整備することが、自院の中長期的な人材確保につながります。
+5.7%という本改定における賃上げ目標は、他産業との差別化材料になり得ます。求人票で賃上げを明示すること自体が応募増につながる可能性を秘めています。
しかし、実際に職員の手元に届く形になっていなければ、定着効果は薄まります。
また、賃金だけで採用・定着のすべてが解決するわけではありません。
働きやすさの改善も、もちろん必要です。
業務負担、職場環境、教育体制といった要素も定着率に影響します。
次回投稿予定の記事では、ICT導入と業務フローの再設計という観点から、働きやすい職場づくりの実務を取り上げます。
給料や業務改善を含めた2026年度診療報酬改定の5つの論点について、以下の総論記事で解説しています。

