医療現場を支えるのは「人」です。
しかし、賃金の設計や休暇の運用を巡る「現場の慣習」が、今の法律では通用しなくなっているケースが多々あります。
固定残業代の無効リスク
未払い賃金の遡及請求
有給休暇の取得義務違反による罰金——
これらはすべて、知識があれば未然に防げるはずの経営上の損失です。
本記事では、職員が安心して働き、組織が法的リスクを回避するための賃金・手当・休日を巡る「納得感」のある実務について、4つのポイントに絞って解説します。
なお、本記事は『知らないと困る 医療現場の労働法』シリーズの第3章「賃金」編の内容をまとめたものです。シリーズ全体の紹介は、以下の入門記事で行っています。

このテーマについてより深く学びたい方は、項目ごとに紹介している解説動画(YouTube・15分前後)も併せてご活用ください。
1. 固定残業代・年俸制の「残業代設計」:絶対に外せない2つのルール

「勤務医に年俸2,000万円も払っているから、残業代はすべて含まれているはず」
「医師は業務の裁量性が高いから、時間管理や残業代の計算は馴染まない」
こうした「高額な報酬を支払っているから大丈夫」などという思い込みは、医療現場で最も危険な誤解の一つです。
法的な現実:判別可能性の壁
固定残業代制は「残業代の定額打ち切り」の制度ではありません。実際の残業時間が固定時間を超えた場合は、必ず差額を支払う運用が必要です。
最高裁(医療法人康心会事件・2017年)は、固定残業代や年俸制を有効とするために「判別可能性」という厳格な基準を示しました。
判別可能性というのは、給与の中で「通常の労働時間の賃金」と「割増賃金(残業代)」が、誰が見ても明確に区別されていなければならないというルールです。
| 有効な例 | 「年俸〇万円(うち固定残業代〇円・〇時間分)」と明記され、超過分を支払う運用がある場合。 |
| 無効なリスク | 「月給〇円(残業代込み)」とだけ記載され、内訳が不明な場合。 |
たとえ高額年俸の勤務医であっても、割増賃金相当額が判別できないと判断されると、支払っている全額が「基本給」とみなされます。
その結果、その全額を基礎とした残業代を別途支払うという「二重支払い」のリスクが生じます。
実務でのポイント
固定残業代・年俸制は、あわよくば残業代を抑えるための制度として捉えがちです。
しかし、以下の取り組みをとおして、事務負担を減らしつつ業務効率化や安心して働くための仕組みに変えることが重要です。
- ① 契約書の内訳を確認する
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医師や高額年俸スタッフの契約書に、残業代の「金額」と「時間数」が明記されているか、事務部門と連携して点検する。
- ② 採用時に誠実に説明し、書面に明記する
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透明性を高めた対応が、「サービス残業をさせられている」という不信感をなくし、組織への信頼を育むことつながる。
- ③ 労働時間の把握を怠らない
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設定時間を超えた分の差額精算が必要である以上、タイムカードや勤怠システムによる適正な時間把握は必須事項と心得る。
- ④ 「早く帰っても損しない」を職員に伝える
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固定残業代は、実際の残業が設定時間より短くても全額支払うもの。「早く帰っても給料は変わらない」旨のメッセージをあえて発することで、業務効率化へのモチベーションにつなげる。
※本章の内容(固定残業代・年俸制の「残業代設計」)を動画で解説したものがこちらです。
2. 有給休暇の義務化:「人手不足だから」は拒否の理由にならない

「うちはいつも人手不足でシフトがギリギリだから、有休は落ち着くまで待ってほしい」
「忙しい時期だから、有給休暇の取得を断っても問題ないはず」
そう考えて職員の有給取得を後回しにしていませんか?
実は、法律上こうした理由は、有給休暇の取得を拒否できる正当な理由にはなりません。
法的な現実:時季変更権の限界
2019年の法改正により、年10日以上の有給休暇が付与される職員に対し、年5日を取得させることは事業主の「法的義務」となりました。
これに違反した場合、職員1人につき最大30万円の罰金リスクが伴います。
職員の有給申請に対し、使用者には時季を変更できる「時季変更権」という権利も認められています。
しかし、これはあくまで「事業の正常な運営を妨げる場合」に限定されます。
- 年5日取得義務:
労働者の希望を踏まえ、原則として使用者が時季を指定してでも取得させる義務 - 時季変更権(労基法第39条第5項ただし書):
「事業の正常な運営を妨げる場合」(一時的・突発的な事情を指す)に限り、時季を変更できる例外的な権利
判例(西日本ジェイアールバス事件)によると、会社が恒常的に放置してきた人員不足は「経営側の管理責任」であり、時季変更を正当化する理由にはならないと判断しています。
実務でのポイント
職員の「気合いや犠牲」で乗り切る視点から、「仕組みで乗り切る」視点に転換することが重要です。
年休取得は組織が守るべき法的責任と捉え、積極的に、戦略的に年休管理を仕組み化し、職員が公平に安心して休める体制を整備することが求められます。
- ① 「計画的付与制度」を活用する
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労使協定を結び、閑散期や年末年始などにあらかじめ年休を割り振る仕組み。これにより、年休申請=「突発的な欠員」ではなく「予定されたコスト」として経営に組み込むことができる。
- ② 「見える化」して調整する
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年度初めに希望を聴取し、ホワイトボードや共有ソフトで取得状況を可視化する。特定の時期への集中を事前に防ぐことができる。
- ③ 「休める職場」は「強い職場」を理解する
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ギリギリの人員で回す組織は、1人の欠員で崩壊する。有給を取れるだけの「余裕(バッファ)」を持った体制こそが、職員の健康と医療安全を守る土台になる。
※本章の内容(有給休暇の義務化)を動画で解説したものがこちらです。
3. 賞与不支給の法的考え方:「経営難だからゼロ」をどう進めるか

経営が厳しい局面で、賞与の支給について頭を悩ませる医療機関は少なくありません。
「患者が減って赤字だから、今期の賞与は無しにしたい」
「人手不足で経営が苦しいから、出せないものは出せないと通告しよう」
このように、経営難を理由に賞与を「ゼロ」にすることは、法律上可能なのでしょうか?
「赤字だから今期は賞与なし」という判断は、法的には可能ですが、手順を誤ると職員の信頼を根底から壊すことにつながります。
法的な現実:具体的権利の発生時期
賞与は労働基準法第11条における「賃金」に含まれますが、毎月の給与とは異なり、職員側の請求権は自動発生しません。
裁判所(福岡雙葉学園事件)は、賞与の請求権は「規則に基づき支給額が具体的に定められて初めて発生する」としています。
不支給が適法とされる条件は、以下の2つです。
- 就業規則の定め:
「業績等により支給しないことがある」等の不支給条項があること。 - 支給額未確定:
個別の支給額を本人に通知・周知する前であること。
逆に、就業規則に定めがあったとしても、
- 一度決定・周知した後の取り消し(既に具体的権利発生済み)
- 年休取得を理由とした減額(不利益取扱いによる)
- 「パートだから一律ゼロ」(不合理な待遇差)
といったケースは違法リスクが高まります。
なお、「支給日に在籍していること」を賞与支給条件とすること自体は、基準が就業規則等に明確に定められていれば有効とされます。
実務でのポイント
賞与の不支給が、「法的に可能」であることと「組織として正しい」ことは別問題です。
誠実な説明プロセスと、「出せる限りで誠意を示す」という姿勢が、職員との信頼関係維持につながります。
- ① 経営状況を誠実に開示する
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一方的な通告ではなく、「なぜ苦しいのか」「いつまでに改善を目指すのか」を経営陣から説明するプロセスが不可欠。
- ② 負のスパイラルを断つ
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求人広告や紹介手数料に多額のコストをかける一方で、既存職員の賞与を削れば離職を招く。「今いる職員への還元」を最優先の経営投資と捉え、寸志や支給時期の調整など、誠意を示す姿勢が組織の危機を救う。
※本章の内容(賞与不支給の法的考え方)を動画で解説したものがこちらです。
4. 減給の制裁:遅刻・欠勤へのペナルティとして差し引ける限界

「遅刻や欠勤が多い職員への見せしめに、今回は給与を多めに差し引いて反省させたい」
「1日無断欠勤したから、示しをつけるために3日分の給与を削ろう」
このように、規律を乱す職員に対してペナルティを与えたい気持ちがあっても、給与から「罰金」を引く場合には、労働基準法による厳格な制限があります。
法的な現実:2つの上限規制
まず重要なのは、
- 働かなかった時間分の給与を払わない(ノーワーク・ノーペイ・法的制限なし)
- 罰金としての減給 (労基法第91条による制限あり)
の2つを切り分けて考えることです。
2の罰金(減給の制裁)を課すには、以下の2つの上限を同時に満たさなければなりません。
- 1回の事案につき: 平均賃金の1日分の半額以下
- 1か月の給与総額につき: 月給総額の10分の1以下。
なお、過去の判例(マーベラス事件)では、「1回ごと(本件の場合1年ごと)の減額は適正でも、累積(本件の場合4年連続)による過度な減額は無効」と判断されています。
さらに、既存の控除ルールを後から厳格化することも、「就業規則の不利益変更(日本貨物検数協会事件)」として無効とされるリスクがあるため注意が必要です。
実務でのポイント
ペナルティの目的は、罰を与えることではなく規律を正すことにあります。
この視点を念頭に置きながら、独断的な運用や感覚的な運用ではなく、法律に沿って計算式で確認できるルールを整備することが重要です。
- ① 「時間分」と「罰金」を分けて計算する
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実働に基づかない控除が違法なレベルに達していないか、給与計算担当者に確認。減給の制裁について、就業規則に理由と範囲が明記され、周知されているか確認する。
- ② 段階的な指導のプロセスを踏む
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いきなり給与を削るのではなく、「口頭注意」→「書面注意」→「始末書の提出」というステップを踏むことが、法的リスクを下げ、現場の納得感を生む。
- ③ 背景を対話で掘り下げる
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特定の職員の度重なる遅刻・欠勤には、健康問題や家庭の事情が隠れている可能性がある。感情的なペナルティは逆恨みや離職を招くだけ。「なぜ続くのか」を面談で丁寧に拾い上げることが、規律の回復への道筋になる。
※本章の内容(減給の制裁)を動画で解説したものがこちらです。
まとめ:労務管理は職員との「信頼関係の設計」である

賃金の適正な設計と、職員の権利への配慮は、コストではなく「投資」です。
本記事で紹介した「固定残業代の無効リスク」や「未払い賃金の遡及請求リスク」は、「知らなかった」から生じる大きな経営上の損失です。
しかし、これら労働法の知識を土台にしながら、日頃から職員と誠実に対話を重ねている組織では、こうしたトラブルはほとんど起きません。
「この組織は自分を大切にしてくれている」という職員の実感が、定着率を高め、採用力を生み、最終的には患者への最善の医療へとつながるはずです。
次回、第4章では、「職員の心身と組織を守る『安全配慮』の実務」について詳しく解説します。
前回、第2章で取り扱った「医療現場のリアルな『労働時間』と『休息』」については、以下の記事で解説しています。

参考:
- 労働基準法 | e-Gov 法令検索
- 裁判例|確かめよう労働条件|厚生労働省
- 『教えて! 働くなら知っておきたい法律の知識』砂押以久子(自由国民社)
- 『労働法〔第11版〕』水町勇一郎(有斐閣)
