【医療機関の労務管理】採用・試用期間・労働契約の落とし穴とトラブル防止法

「Recruit」の文字とスーツの女性が手招きしている画像

人手不足が深刻な医療業界において、良い人材を確保し、定着させることは経営の最優先事項です。

しかし、採用という「入口」での法的な理解が不十分なために、後に大きな紛争や未払い賃金の請求、あるいは貴重な人材の離職を招いてしまうケースが後を絶ちません。

労働法は単なる規制ではなく、職員と組織、そして最終的には患者の安全を守るための「盾」であり、健全な経営の土台です。

本記事では、医療管理職の皆様へ、採用から入職までに潜む「5つの落とし穴」について、判例を交えながらわかりやすく解説します。

なお、本記事は『知らないと困る 医療現場の労働法』シリーズの第1章「採用」編をまとめたものです。シリーズ全体の紹介は、以下の入門記事で行っています。

このテーマについてより深く学びたい方は、項目ごとに紹介している解説動画(YouTube・15分前後)も併せてご活用ください。

目次

1. 試用期間の誤解:「能力不足ならすぐ辞めさせられる」は本当か?

ブロックで「TRIAL」と書かれたイラスト

「まだ試用期間中だから、期待した能力がなければすぐ辞めてもらっても大丈夫だろう」

「職場の雰囲気に合わないから、本採用は見送りたい」

医療現場でありがちなこの認識、実は法律上ほとんど通用しないことをご存知でしょうか?

法的な現実

裁判所は、試用期間を「解約権留保付労働契約」と解釈しています。

これは、実際の働きぶりを見て本採用を判断する権利が留保された契約ですが、解雇(本採用拒否)を行うには

  1. 客観的に合理的な理由
  2. 社会通念上の相当性

の2つが厳格に求められます。

これは、労働裁判における歴史的判例・三菱樹脂事件においても示された条件です。

ただ、「なんとなく雰囲気に合わない」「思ったより仕事が遅い」といった主観的な理由だけでは、解雇権の濫用とみなされ、法的に無効となる可能性が高いのです。

実務でのポイント

トラブルを防ぐカギは、「指導・記録・基準」の3点です。

感情論ではなく、具体的な事実と面談記録を残すことが、医療現場を守る最大の防御になります。

① 具体的な指導と改善機会を与える

何が基準に達していないかを本人に明確に伝え、改善の機会(研修等)を与える。

② 面談記録を必ず残す

「いつ、何を指導し、本人がどう反応したか」を生の言葉で記録に残すことが、組織を守る法的証拠になる。

③ 評価基準を採用時に伝えておく

採用時に「この期間で習得すべきスキル」や「判断基準」を書面で伝えておくことが、すべての土台となる。

※本章の内容(試用期間の誤解)を動画で解説したものがこちらです。

2. 内定の法的重み:通知を出した瞬間、契約は始まっている

封筒から出された「内定通知」の画像

人手不足の医療現場で焦って採用を決めてしまった後、このような問題に直面したことはありませんか?

「内定を出した後に、前職でトラブルを起こしていたと噂で聞いた」

「まだ入職前だから、気になることがあれば自由に取り消せる」

こうした認識も、医療現場ではありがちな誤解の一つです。

法的な現実

内定通知が本人に届いた時点で、法律上の「労働契約」は成立しています。最高裁の判例(大日本印刷事件)でも、採用内定は「始期付解約権留保付労働契約」であるとされています。

したがって、内定取り消しは法的には「解雇」と同じ重みで扱われます。

取り消しが認められるのは、「採用決定時には知ることができず、知ることを期待もできなかった重大な事実(経歴の重大な虚偽や資格詐称など)」が判明し、それが客観的に合理的である場合に限られます。

実務でのポイント

内定後の取り消しリスクを避ける最善策は、選考プロセスの充実にあります。

「噂」や「焦り」で内定を出さないよう、複数面接やリファレンスチェック(前職照会)を選考段階で組み込むことが重要です。

① 複数回の面接・段階的な選考

面接1回で即決せず、人物・スキルを複数の機会で多角的に確認する仕組みを整える。

② リファレンスチェックの活用

過去のトラブルが懸念される場合は、本人の同意を得た上で前職への照会を行うことも有効。

③ 選考基準の明文化

「なんとなく不安」ではなく、判断の根拠を言語化できる選考基準を整備する。

※本章の内容(内定の法的重み)を動画で解説したものがこちらです。

3. 求人票と契約の乖離:条件変更が「どこまで」許されるか

「労働条件通知書」とペンの画像

「求人票はあくまで案内だから、実際の条件は採用時に調整すればいい」

「本人が契約書にサインしたんだから、後から文句を言われても困る」

人手不足の焦りから「求人票では条件を盛り、面接で下げる」、あるいは「入職直前に条件を引き下げる」といった対応をしていないでしょうか。

法的な現実

法律上、求人票は「申込みの誘引」とされています。契約そのものではありませんが、応募を促す案内と解されます。

裁判所は「求人票の条件と異なる合意をしたなどの特段の事情がない限り、求人票の内容が契約内容になる」という考え方を示しています(千代田工業事件)。

特に、前職を退職した後の入職直前に条件を引き下げる行為は、労働者が「断れない状況」にあることを利用した「強制に近い合意」とみなされます。

つまり、労働者の「自由な意思に基づく同意」とは認められず、法的に条件変更が無効とされるリスクが極めて高くなるのです。

そもそも労働基準法第15条では、明示された条件が事実と相違する場合、労働者は即時に契約を解除できると定めていることも認識しておく必要があります。

実務でのポイント

たとえ条件を盛って採用しても、入職後に実態を知った職員は早期に離職していくでしょう。

情報の透明性こそ、採用ブランディングそのものです。

① 変更がある場合は「内定前」に伝える

経営状況などでやむを得ず条件を変更する場合は、相手が前職を辞める前に、理由を添えて誠実に説明する。

② 求人票と契約書の内容を一致させる

相違がない場合でも、求人票・面接での説明・労働条件通知書・雇用契約書の内容を一貫して揃える。

③ 「正直に出して選ばれる」を目指す

最初から正直な条件を提示し、それでも選んでくれる人材を採用することが、長期定着への最短ルートになる。

※本章の内容(求人票と契約の乖離)を動画で解説したものがこちらです。

4. 同一労働同一賃金:「パートだから手当なし」が通らない時代

積み木に「正社員」「派遣社員」「パート」「アルバイト」と書かれたイラスト

「うちは昔からパートさんには手当を出していない」

「正職員じゃないんだから、パートの手当が少ないのは当たり前」

このような慣習は、2020年以降、明確な法律リスクを抱えることになりました。

法的な現実

2020年4月に「同一労働同一賃金」が適用されてから、正職員と非正規職員の間での「不合理な待遇差」は禁止されています。(改正パートタイム・有期雇用労働法 第8条)

待遇差が合理的かどうかは、

  • 職務内容
  • 責任の程度
  • 配置の変更範囲

などで判断されます。

特に通勤手当、精勤手当、夜勤手当などは、雇用形態に関わらず「支給目的」が共通であるため、差を設けることが困難です。

最高裁(ハマキョウレックス事件)でも、手当ひとつひとつの目的をみて、合理的か不合理かの判断がなされました。

実務でのポイント

法律で求められているのは「正職員とまったく同じ賃金にすること」ではなく、「なぜ手当に差があるのか」を合理的に説明できるかどうかです。

パートタイム・有期雇用労働法第14条により、職員から待遇差について質問された場合、事業主には説明義務があります。

① 院内の手当の一覧化

院内のすべての手当を一覧化し、「この手当は何のために払っているのか」を仕分けする。

② 支給基準の明文化

「支給根拠・目的」が正職員と変わらない手当は、非正規職員への支給を検討。職務の責任や役割に応じた納得感のある基準を就業規則に明文化する。

③ 信頼への「投資」と位置づけ

手当の見直しはコストではなく、現場を支える多様なスタッフの信頼への「投資」と位置づける。

※本章の内容(同一労働同一賃金)を動画で解説したものがこちらです。

5. 就業規則の重要性:10人未満のクリニックでも整備すべき理由

クリップボードの紙に「就業規則」と書かれたイラスト

クリニックや小規模病院の経営で、このような“思い込み”はありませんか?

「うちはまだ人数が少ないから、就業規則は必要ない」

「個別に雇用契約書を結んでいるから、就業規則の代わりになっている」

こうした思い込みが、いざトラブルが起きた際に「職員を処分する根拠がない」という最悪の状況を招きます。

法的な現実

労働基準法上、作成・届出の義務は「常時10人以上」ですが、パートや有期雇用も含めてカウントされるため、クリニックでも意外と早くこのラインに達します。

重要なのは、就業規則は「周知(職員がいつでも見られる状態)」されて初めて法的拘束力を持つという点です(フジ興産事件)。

また、雇用契約書は「個別の条件」を定めるのに対し、就業規則は「服務規律や懲戒規定など組織全体の共通ルール」を定めるものであり、両者は役割が異なります。

実務でのポイント

就業規則は組織を守るための「インフラ」です。

10人未満のうちに整備することが、最大のトラブル予防策にして組織文化の土台になります。

① トラブルの芽は少人数のうちから生まれることに目を向ける

人数が少ないからこそ、一人のトラブルが組織全体に与えるダメージが大きい。就業規則は、問題職員への指導・処分の「拠り所」。

② 組織が拡大したときの「ルール変更」は摩擦が大きいことに目を向ける

少人数のうちに「当院のスタンダード」として定着させておくことが、拡大時の摩擦を防ぐ。

③ 「院長の気分」ではなく「組織のルール」で動く文化をつくる

「あの人はよくて、なぜ私はダメなのか」――就業規則の明文化は、こうした不公平感を防ぎ、職員との信頼関係の土台になる。

※本章の内容(就業規則の重要性)を動画で解説したものがこちらです。

まとめ

画用紙と絵具を背景に「まとめ」と書かれたイラスト

採用は、本来、労働者と医療機関が対等な立場で合意を結ぶための「約束の入り口」です。

今回解説した5つのポイントに共通しているのは、「曖昧な運用や思い込みを排し、客観的な基準と誠実な対話を積み重ねる」ことの重要性です。

労働法の知識を持ち、正しくルールを運用することは、医療管理職としての皆さま自身をトラブルから守り、職員が安心して働ける環境を整えることにつながります。

それが結果として、患者への質の高い医療の提供という、本来の使命を果たすための強い組織をつくるのです。

参考:

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

吉澤 宏行のアバター 吉澤 宏行 社会保険労務士・医療機関専門コンサルタント

吉澤社労士事務所代表。社会保険労務士・国家資格キャリアコンサルタント・ファイナンシャルプランナー(CFP®認定者)として、医療機関の労務と人材課題に専門的に携わっています。
医療機関で25年間事務職に従事。総務、経理、医事、健診部門など幅広く経験を積み、2024年4月に独立。地元・東京都日野市にて医療機関専門社労士として活動中。

目次