医療現場の最前線で起きるペイシェントハラスメント(ペイハラ)。
現場職員向けの初動対応を徹底することは不可欠ですが、職員の努力だけでは解決できないケースも少なくありません。
「患者だから多少のことは仕方ない」
「現場でなんとか収めてほしい」
このような「現場任せ」の姿勢は、職員の心身を疲弊させ、離職や医療事故、さらには病院側の安全配慮義務違反のリスクを招きます。
本記事では、管理職や医療安全担当者が主導して整えるべき「組織的な体制づくり」の具体的なステップを、実務的な視点で解説します。
なぜ「現場対応」だけではペイシェントハラスメントは解決しないのか

現場の努力を「組織の責任」へと引き上げる管理職の役割
ペイシェントハラスメントが発生した際、現場の職員は「自分の対応が悪かったのではないか」と自責の念に駆られがちです。しかし、理不尽な要求や暴力的な言動は、もはや接遇の問題ではなく、組織として対応すべき「リスク管理」の領域です。
管理職の役割は、個人の忍耐に頼るのではなく、「ここからは組織が対応する」という明確な境界線を引くことにあります。
管理職が毅然とした態度でバックアップに回ることで、初めて現場の職員は安心して本来の業務に専念できるのです。
そもそもペイシェントハラスメントとは何か、医療現場でどのような問題が生じているのかについては、以下の記事で全体像を整理しています。

事例から学ぶ「基本方針」がないことのリスク(土下座強要の事例)
ここで、ある病棟での事例を考えてみましょう。仕事に不慣れな新人看護師が患者を怒らせてしまい、
「誠意を見せろ、土下座して謝れ」
と強要されたケースです。
もし、この病院に「不当な要求には屈しない」という明確な方針がなかったらどうなるでしょうか。
現場のリーダーや師長は、その場を収めるために職員に謝罪を促してしまうかもしれません。その結果、職員は深い心の傷を負い、組織への不信感を募らせ、最悪の場合は離職に至ります。
一方で、組織として「土下座などの不当要求は一切受け入れない」という方針が周知されていれば、管理職は即座に介入し、職員を保護した上で、患者に対して組織として毅然とした対応を取ることが可能になります。
「方針がある」ということは、現場を守る盾を持つことと同じなのです。
実際の現場では、受付・事務職など最前線の職員が「最初にどう動くか」がその後の対応を大きく左右します。現場スタッフ向けの具体的な初動対応の考え方や行動指針については、以下の記事で詳しく整理しています。

組織的体制づくりの全体像と5つのステップ

ペイハラ対策を「個人の接遇」から「組織のリスク管理」へと移行させるためには、場当たり的な対応ではなく、体系的な仕組み作りが必要です。
厚生労働省の指針や、多くの医療機関での事例を踏まえると、以下の5つのステップで体制を整えるのが最も実効性が高まると考えます。
- ステップ1 基本方針・基本姿勢の明確化:組織としての「容認しない」姿勢を打ち出す
- ステップ2 対応方法・手順(マニュアル)の策定:現場が迷わないルールを決める
- ステップ3 相談対応体制の整備:職員が一人で抱え込まない窓口を作る
- ステップ4 職員への周知・啓発:方針とルールを全職員に浸透させる
- ステップ5 教育研修の実施:シミュレーションを通じて対応力を磨く
まずは、すべての土台となる「ステップ1」から詳しく見ていきましょう。
ステップ1:毅然とした「基本方針」の策定と周知

組織的な体制構築において最も重要であり、かつ最初に行わなければならないのが「基本方針の策定」です。
これが曖昧なままでは、どんなに立派なマニュアルを作っても現場で機能する可能性は期待できません。
「迷惑行為を容認しない」と言語化し、組織の姿勢を明示する
方針策定で最も大切なポイントは、
「患者さんであっても、職員の尊厳を傷つける迷惑行為は一切容認しない」と明文化
することです。
医療従事者は「患者さんのために」という強い使命感を持っています。そのため、方針が示されていないと「自分が我慢すればいい」という思考に陥りやすくなります。
病院のトップが「職員を守る」と宣言し、毅然とした態度で臨む姿勢を言語化することで、組織全体の意識が「忍耐」から「防衛」へと切り替わります。
全職員への周知が「職員の安心感」と「加害への抑止力」を生む
基本方針は「作って終わり」では意味がありません。
筆者がペイハラ研修で最も強調しているのは、
「方針の策定」と「スタッフへの周知」はセットで初めて効果を発揮する
という点です。
患者への周知も忘れてはいけません。周知の方法と合わせて簡単に説明を加えます。
- 職員への周知
-
朝礼、会議、院内掲示板、社内ポータル等を通じて繰り返し伝えます。「いざという時は病院がバックアップしてくれる」という安心感が、現場の士気を高め、早期報告・早期対応を促進します。
- 患者への周知
-
院内にポスターを掲示したり、入院案内等に記載したりすることで、不当な要求を考えている患者・家族等への強い抑止力となります。
「方針がある」かつ「周知されている」。
この両輪が揃うことで、初めて現場の職員は「土下座を強要される」といった異常な事態に遭遇した時でも、「これは方針違反です」と組織の総意として対応できるようになるのです。
ステップ2:現場を独りにしない「組織対応」と役割分担の設計

方針が決まったら、次は「誰が何をするか」という具体的な役割分担を設計します。
ペイハラ対応で最も避けなければならないことは、被害を受けた職員が、そのまま一人で解決まで担当させられる状況です。
現場対応を「チーム」で行うための役割分担
責任を一人に押し付けず、チームで支える姿勢が現場の安心感につながります。
管理職はハラスメントが発生することを想定して、あらかじめ以下のような役割分担表を策定し、現場に落とし込んでおくことが求められます。
| 役割 | 主な担当者 | 主な業務内容・ポイント |
| 初期対応者 | 現場職員(受付・看護師等) | 安全確保(自身・周囲) 冷静な対応、記録開始 上司へ速やかに報告 |
| 被害者対応係 | 指名職員(同僚・上司等) | 被害者の心身ケア 状況聴取とヒアリングメモ作成 必要に応じて休憩・医療対応 |
| 加害者対応係 | 管理職・リーダー | 毅然とした説明・注意喚起 行為の中止要請 必要に応じて退去要請・警察連絡 |
| 記録・証拠係 | 指名職員(記録担当等) | 事案の詳細な記録 証拠(録音・写真等)の確保 記録フォーマットの管理 |
| 連絡・調整係 | 総務・医療安全担当等 | 上層部・委員会への報告 外部機関(警察・弁護士等)との連絡 院内情報共有 |
| 応援・安全係 | 警備員・応援職員等 | 現場への応援・安全確保 避難誘導や混乱防止 他患者への配慮 |
| 相談窓口 | 専任担当・外部窓口 | 職員からの相談受付 メンタルヘルス支援 フォローアップ |
あらかじめ役割分担を決めておくことで、例えば初期対応者は「証拠を残さなきゃ」「何かあったらどうしよう」という不安から解放され、対話に集中できるでしょう。
夜間・休日・訪問診療など「空白時間」を作らない報告ルートの整備
管理職が不在になりがちな夜間や休日、あるいは密室になりやすい訪問診療の現場では、対応が遅れがちです。
「上司が不在だから我慢するしかない」という状況を作らないために、
- 現場の判断で即座に繋げられる緊急連絡先
- 代行決定権者
をあらかじめ決めておきましょう。
組織的な初動対応を機能させるためには、時間帯を問わない報告・連絡体制の整備が不可欠です。
ステップ3:迷いをなくす「対応基準(線引き)」の明文化

現場の職員が一番困るのは、
「どこまでが我慢すべき接遇の範囲で、どこからが断っていいハラスメントなのか」
という判断です。
この「線引き」を明文化し、組織として共有することが管理職の重要な仕事です。
どこからが「組織」の出番か?対応を交代・打ち切る閾値を決める
例えば、以下のような具体的な数値を伴う対応打ち切り基準「閾値(いきち)」を設定することを推奨します。
- 「同じ内容の要求を3回以上繰り返した場合、担当者を交代し別室へ誘導する」
- 「大声を出したり、机を叩いたりした時点で、診察・対応を一時中断する」
これらをルール化しておくことで、職員は「自分の判断で逃げた」という罪悪感を持たずに、組織のルールとして身を守る行動が取れるようになります。
警察通報や法的措置を躊躇させないための組織判断基準
身体的な暴力はもちろんのこと、居座り(不退去)や執拗な電話攻撃(威力業務妨害)など、法的措置が必要な場面があります。
この際、「通報するかどうか」を現場職員に判断させてはいけません。
「このような行為があった場合は、組織の判断として即座に通報する」
という基準をマニュアルに明記しておきます。
通報の責任を組織が背負うことで、職員を患者からの「逆恨み」という恐怖から守ることができ、結果として「安全配慮義務」を適切に履行することに繋がります。
ステップ4:職員が利用しやすい相談体制とマニュアルの教育

どんなに立派な基本方針やマニュアルを作っても、職員がそれらを「自分たちを守るためのものだ」と信頼しなければ意味がありません。
体制構築の総仕上げとして、相談窓口の運用と教育を徹底します。
形式的な窓口で終わらせない「実効性」のある相談ルートとは
院内の相談窓口が設置されていても、実際に相談が上がってこないケースは多々あります。その背景には
- 「相談しても解決しない」
- 「自分が未熟だと思われる」
といった職員の心理的ハードルが考えられます。
実効性を高めるためには、以下の3点が重要です。
- ①「ためらわずに相談を」というメッセージの反復
-
朝礼や研修のたびに、管理職自らが相談を推奨する。
- ②多職種連携による多層的な支援
-
医師・看護師・事務職などが連携し、特定の部署だけで問題を抱え込ませない仕組み(委員会等)を機能させる。
- ③プライバシーの厳守
-
相談したことで不利益を被らないことを明文化し、心理的安全性を確保する。
研修を通じて「組織が守ってくれる」という実感を全職員に届ける
マニュアルを配布するだけでは、現場の対応力は向上しません。定期的な教育研修(シミュレーション等)を通じて、ステップ1〜3で決めたルールを体得してもらう必要があります。
研修の最大の目的は、知識の習得だけではありません。
「何かあった時は、このルールに従えば組織が守ってくれる」という実感を職員に持ってもらうことにあります。
この実感が、現場の疲弊を防ぎ、組織へのエンゲージメントを高めることに繋がります。
まとめ:管理職の「仕組みづくり」が、医療の質を守ることに繋がる

ペイシェントハラスメント対策は、単なるトラブル処理のルールではありません。
それは、医療機関が職員に対して負っている安全配慮義務を具体化し、職員が健康に、かつ安心して働ける環境を維持するための「経営の根幹」に関わる取り組みです。
安全配慮義務の考え方や、違反が問題となるケースについては、以下の記事で詳しく解説しています。

管理職や医療安全担当者が主導して体制を整えることで、
- 現場の疲弊と離職を防ぎ、
- 組織としての法的リスクを軽減し、
- 結果として、患者へ提供する医療の質を維持・向上させる
ことが可能になります。
「現場任せ」をやめて、組織として盾を構える。その一歩が、貴院の大切な職員を守る確かな力となります。
次回の記事では、ペイシェントハラスメント被害を受けた職員への具体的なアフターケアを解説します。
なお、ここで整理した内容は、独立行政法人病院グループ等での研修でも扱っている実務的な視点を基にしています。研修実績の一例は、以下のページで紹介しています。

よくある質問(FAQ)

夜間や休日のように、管理職や事務長が不在の時に発生した場合はどうすべきですか?
事前に「代行決定権者」や「緊急連絡・報告ルート」を明確に定めておくことが不可欠です。現場の当直責任者や看護師長に対し、一定の判断権限(警察通報の可否や対応の中断など)をあらかじめ委譲しておくことで、管理職不在による対応の遅れや、現場職員の孤立を防ぐことができます。
院内に「毅然とした対応」の方針を掲示すると、かえって患者とのトラブルを助長しませんか?
実際には、方針の明示は「悪質な迷惑行為」に対する強い抑止力として働きます。また、大多数の良識ある患者にとって、安全な診療環境を守ろうとする病院の姿勢はむしろ「信頼感」に繋がります。「すべての患者様に安全な医療を提供するため、職員へのハラスメントを許容しません」という文脈で周知するのがポイントです。
人員が限られる中で、役割分担表にあるような体制を組むのが難しい場合はどうすればいいですか?
少なくとも「直接対面して対話する人」と「少し離れて見守り、記録する人」の最低2名は確保するようにしてください。見守り役が「いつでも応援を呼べる(または警察に通報できる)状態」で控えているだけで、現場の安心感は大きく変わります。どのような状況でも、職員を一人きりで対峙させないことが体制構築の最低限のルールです。
どのような状態になったら管理職が介入すべきでしょうか?
「同じ不当要求を〇回繰り返したとき」や「対応時間が〇〇分を超えたとき」など、客観的な数値を伴う基準(閾値)をマニュアルに設けるのが効果的です。基準に達した時点で自動的に「担当者の交代」や「別室への誘導」を行うルールにすることで、現場職員が自責の念を感じることなく、スムーズに組織対応へ引き継ぐことが可能になります。
