2025年6月、労働施策総合推進法が改正され、カスタマーハラスメント対策が事業主の法的義務となりました。
施行日は2026年10月1日です。
厚生労働省は、「令和8年厚生労働省告示第51号」として指針を正式に告示しました。
医療機関にとっては、患者・家族からの言動、いわゆるペイシェントハラスメントが「カスタマーハラスメント」として明確に法律上の対策の対象となる転換点とも言えます。
「何から手をつければよいか分からない」
「体制を整えているつもりだが、義務を満たしているか確認したい」
本記事では、このような医療安全担当者・事務長・看護管理者向けに、指針の内容を医療現場の実務に寄せて整理し、どのような優先順位で取り組むべきかもお示しします。
ペイシェントハラスメントの全体像・初動対応・職員ケアの実務については、
▶「ペイシェントハラスメントにどう対応する?医療機関が押さえるべきリスク管理と対応策」
にて体系的に整理しています。
2026年10月、何が変わるのか

これまでカスタマーハラスメント対策は「取り組むことが望ましい」という努力義務にとどまっていました。
しかし、2026年10月以降は「講じなければならない」義務措置に格上げされます。
違反した場合に直接的な罰則が課されるわけではありませんが、厚生労働省による助言・指導・是正勧告の対象となり得ます。
悪質なケースでは事業所名公表のリスクもあります。
さらに、義務を果たしていない状態で職員が被害を受けた場合、安全配慮義務違反として損害賠償請求に発展する可能性が高まります。
「罰則がないから様子を見る」という姿勢は、法的・経営的リスクの両面で危険と言えるでしょう。
参考:職場におけるハラスメントの防止のために(セクシュアルハラスメント/妊娠・出産等、育児・介護休業等に関するハラスメント/パワーハラスメント|厚生労働省
ペイシェントハラスメントは義務化の対象に明記されている

指針では「顧客等」の定義の中に、病院・福祉施設等の「施設の利用者及びその家族」が明確に含まれています。
つまり患者やその家族からの言動は、法律上のカスタマーハラスメント対策の対象になります。
指針によると、ハラスメントに該当するかどうかは、以下の3要素をすべて満たすかで判断します。
- 患者等(顧客等)の言動であること
- 業務の性質に照らして社会通念上許容される範囲を超えていること
- 労働者の就業環境が害されること
2の「社会通念上許容される範囲を超える」かどうかは、
- 「言動の内容」
- 「手段・態様」
の両面で判断します。
たとえ待ち時間が長引いたという正当な背景があっても、大声・暴言・居座りなどの「手段」が不相当であれば、ハラスメントに該当します。
なお、医療機関特有の注意点として「応招義務との兼ね合い」がありますが、これについては記事の中段で詳しく解説します。
医療機関が整えるべき10の義務措置

指針が定める義務措置には、4つの柱・10項目あります。
義務措置は「しなければならない」であり、対応していない場合は法令違反の状態になります。
この点が、現在認められている努力義務と大きく異なりますので、自院の現状を踏まえて読み進めていってください。
柱1:事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発(2項目)
- ① カスタマーハラスメントには毅然とした態度で対応し、労働者を保護する旨の方針を明確化し、労働者に周知・啓発する
-
実務上のポイント:
院長名での基本方針策定、院内掲示・ホームページへの掲載が該当します。
「患者だから仕方がない」という意識を組織全体で見直すための最初のステップです。
- ② ハラスメントの内容及びあらかじめ定めた対処の内容を、労働者に周知する
-
実務上のポイント:
ハラスメントの定義・類型と、発生時に誰が何をするかを定めたマニュアルを整備し、職員に周知します。
「対処の内容」には
- 一人で対応させない
- 警察への通報基準
なども含まれます。
柱2:相談体制の整備(2項目)
- ③ 相談窓口をあらかじめ定め、労働者に周知する
-
実務上のポイント:
既存のパワハラ・セクハラの相談窓口と一体的に設置することも可能です。
重要なのは「窓口が存在すること」を全職員が知っていることです。
- ④ 相談窓口担当者が、適切に対応できるようにする
-
実務上のポイント:
担当者へのマニュアル整備・研修が求められます。
「ハラスメントかどうか微妙な段階でも広く相談に対応する」ことが指針で明記されています。
柱3:事後の迅速かつ適切な対応(3項目)
- ⑤ 事実関係を迅速かつ正確に確認する
- ⑥ 被害者に対する配慮のための措置を行う
- ⑦ 再発防止に向けた措置を講ずる
-
実務上のポイント:
発生後の対応手順(事実確認 → 被害者ケア → 再発防止)を一連の流れとして整備します。
- 職員が強いショックを受けた場合は現場から離脱させる
- 産業医・カウンセラーとの連携
も義務の範囲に含まれます。
柱4:対応の実効性を確保するための抑止措置(1項目)
- ⑧ 特に悪質と考えられるハラスメントへの対処の方針をあらかじめ定め、労働者に周知し、体制を整備する
-
実務上のポイント:
- 暴行・脅迫への警察通報基準
- 出入り禁止の判断基準
- 弁護士連携体制
など「組織として踏み込む判断をあらかじめ決めておく」ことが求められます。
柱4と併せて講ずべき措置(2項目)
- ⑨ 相談者等のプライバシーを保護するための措置を講じ、労働者に周知する
- ⑩ 相談したことを理由として不利益な取扱いをされない旨を定め、労働者に周知・啓発する
-
実務上のポイント:
職員が安心して相談できる環境を担保するための措置です。
就業規則への明記と周知が基本的な対応です。
応招義務との関係:ペイハラへの組織的対応が求められる理由

「患者対応を断ると応招義務違反になるのでは」
このような懸念が、医療現場での毅然とした対応をためらわせてきた要因の一つとして挙げられます。
しかし今回の義務化の指針は、以下のとおり医療機関に対して重要な留意事項を明記しています。
「各業法等によりサービス提供の義務等が定められている場合やサービスが途絶すると顧客等の生命や心身の健康に重大な影響が及ぶ場合等があることに留意して適切に対応する必要がある。」
引用:事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和8年厚生労働省告示第51号)001662584.pdf
これは医療機関の特殊性を踏まえた記述であり、応招義務を持つ医療機関は一般企業よりも慎重かつ丁寧な対応が求められるということを意味しています。
「義務化されたから断ってよい」という読み方は指針の趣旨と異なります。
では義務化は医療機関に何を求めているのでしょうか――
答えは「組織として対応できる体制の整備」です。
個人が場当たり的に対応する現状では、現場職員が一人で抱え込んで疲弊するか、あるいは対応の属人化によって判断がぶれるかのどちらかになりがちです。
義務化が求めているのは、この構造を変えることです。
- 方針の明確化
- 相談窓口
- 対応マニュアル
- 被害者ケア
- 悪質事案への対処方針…
これらを組織として整備し、現場職員が「組織の判断として毅然と対応できる」状態を作ることが本来の目的です。
なお、暴力・脅迫など職員の安全を直接脅かす行為については、2019年(令和元年)の厚生労働省通知「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」が別途、診療拒否が正当化される場合を整理しています。
義務化はこの通知と併せて理解することで、「応招義務を果たしながら、職員を守る体制を整える」という医療機関本来の姿に近づきます。
2026年10月に向けた実務上の優先順位

指針の10項目すべてを一度に整備しようとすると、どこから手をつければよいか分からなくなると思います。
現場での取り組みやすさと法的リスクの観点から、以下の優先順位を提案します。
(箇条書きのカッコ内の数字は、「4つの柱・10項目」の該当番号を指します)
今すぐ着手(〜2026年春)
- 院長名による基本方針の策定と院内掲示・ホームページ掲載(①)
- 相談窓口の設置と職員への周知(③)
- 相談等を理由とした不利益取扱い禁止の就業規則明記(⑩)
この3点は「組織として取り組んでいる」という姿勢を示すうえで最も基本的かつ重要な措置です。
体制構築(〜2026年夏)
- ハラスメント対応マニュアルの作成と職員周知(②)
- 事後対応手順(事実確認・被害者ケア・再発防止)の整備(⑤・⑥・⑦)
- 悪質事案への対処方針の策定(⑧)
研修・シミュレーション(〜2026年10月施行前)
- 全職員向けハラスメント研修の実施
- 管理職向けエスカレーション・バトンタッチ訓練
- 院内掲示(患者向け)の整備
まとめ

2026年10月の義務化は、医療現場が「患者だから我慢しなければならない」という固定観念を見直すための法的な根拠となります。
対策を講じることは、必ずしも患者やその家族を冷遇することになりません。
すべての職員が安心して働ける環境を整えることが、結果として良質な医療提供につながると考えます。
義務化に向けた準備として、まずは「自院の現状把握」から始めることをお勧めします。
本記事のまとめとして、2026年10月義務化に向けた対応状況を確認できるチェックリスト(簡易版)を無料でご提供しています。
下記よりダウンロードしてお使いください。
※より詳しい「対応確認チェックリスト(管理職・医療安全担当者向け)」をご希望の場合は、末尾の「研修・講演のご相談はこちら」からご請求いただけます。
ペイシェントハラスメント対策研修の実施・体制構築に関するご相談は、以下よりお気軽にお問い合わせください。
よくあるご質問(FAQ)

クリニックや小規模病院も義務化の対象になりますか?
はい、対象になります。
義務化の対象は労働者を雇用するすべての事業主であり、規模による除外はありません。
ただし、マニュアルや相談窓口の整備は自院の規模や体制に応じた方法で構いません。
「院長が必ず対応に入る」「患者対応記録を統一フォーマットで残す」といった小規模ならではのシンプルな整備でも、義務の趣旨は満たせます。
義務化に対応していない場合、具体的にどんなリスクがありますか?
直接的な罰則規定はありませんが、厚生労働省の助言・指導・是正勧告の対象となり得ます。
それ以上に実務上のリスクとして、義務未対応の状態で職員がハラスメント被害を受けた場合、医療機関が安全配慮義務(労働契約法第5条)を果たしていなかったとして損害賠償請求を受ける可能性があります。
実際に過去の裁判例では、適切な保護措置を講じなかった医療機関に高額の賠償が命じられたケースも存在します。
既存のパワハラ・セクハラ対策と何が違うのですか?
従来のパワハラ・セクハラは「職員間」の問題が中心でしたが、カスタマーハラスメントは「患者・家族等の外部からの言動」が対象という点が根本的に異なります。
ただし指針は、既存のハラスメント相談窓口と一体的に設置することを認めています。
仕組みの枠組みは共通化しつつ、「患者対応」という医療機関特有の実態に合わせたマニュアルを加えることが現実的な対応です。
義務化によって、患者対応を断ることが認められるようになりましたか?
今回の義務化を受けて「断りやすくなった」と解釈するのは、指針の趣旨と異なります。
義務化が求めているのは、組織として対応できる体制を整備することです。
個人が一人で抱え込むのではなく、方針・マニュアル・相談窓口・被害者ケアを組織として整えることで、現場職員が「組織の判断として毅然と対応できる」状態を作ることが目的です。
暴力・脅迫など職員の安全を直接脅かす行為への対応については、2019年の厚生労働省通知が別途、診療拒否が正当化される場合の基準を示していますが、指針と混同しないよう注意が必要です。
指針に「望ましい取組」と「義務措置」の2種類があるようですが、何が違いますか?
義務措置(10項目)は「講じなければならない」事項であり、対応していない場合は法令違反の状態になります。
望ましい取組は「行うことが望ましい」事項であり、義務ではありませんが、ハラスメント対策の実効性を高めるために推奨されています。
たとえば「職員の顧客対応力向上のための研修」「衛生委員会を活用した運用状況の見直し」などが望ましい取組に含まれます。
義務措置10項目を優先的に整備したうえで望ましい取組も順次進める、という流れが現実的です。
