2024年は、新NISA制度スタートや日銀によるマイナス金利政策の解除など、日本経済にとって一つの転換期だったと言われています。
当時の岸田政権は、2023年を「資産所得倍増元年」と位置付け、貯蓄から投資への流れを促していきました。金融教育に力を入れ、国民の金融リテラシー向上を図ろうとしたものです。
この流れは、一般企業で徐々に浸透してきているようです。その一方、多くの医療機関は、日々目の前の課題に追われることも多く、金融教育にまで時間を割く余裕はないのではないでしょうか。
今回は、企業における金融教育の捉え方を確認しながら、医療機関における金融リテラシーの向上と、その効果について考えたいと思います。
金融リテラシーとは

「貯蓄から投資へ」
この背景にあるのは、人生100年時代に個人の生活や働き方が多様化し、様々なライフプランに応じた資産形成が求められていることにあります。
その前提として、国民の金融リテラシー向上が必要とされています。
政府広報オンラインによると、金融リテラシーについて以下のとおり説明しています。
金融リテラシーとは…
「経済的に自立し、より良い生活を送るために必要なお金に関する知識や判断力」
金融リテラシーが高い人の特徴は?
それでは、「金融リテラシーが高い」とはどのような状態を言うのでしょうか。
実は、金融リテラシーが高い人には、共通して見られる行動や考え方があるようです。代表的な特徴を整理すると以下のとおりです。
- 収支を把握している
- 将来を見据えた資産形成を行っている
- ライフイベントを意識して準備している
- 情報源を見極められる
- リスクとリターンを冷静に判断できる
金融リテラシーが高い人は、「日常から金銭や物の価値に意識を向け」「将来を見据えた行動」ができる人と言えます。
金融リテラシーが低いとどうなる?
反対に、金融リテラシーが不足していると、日常生活や将来設計において様々なリスクが生じやすくなります。具体的に挙げると、以下のような影響がありそうです。
- 無駄な出費が増える
- 詐欺や不適切な金融商品に巻き込まれやすい
- 資産形成ができない
- ライフプランが立てにくい
- 将来への不安が大きくなる
金融リテラシーが低いと、日常的な損失だけでなく、将来の安心まで失いやすくなります。
将来への不安が大きいと、働く人であれば仕事に支障が出ることも当然考えられます。
医療機関の管理者にとっては、スタッフの金融リテラシーにも目配りすることが、組織運営上、大切になると言えそうです。
従業員エンゲージメントを高めることとは

ここで、「人的資本経営」について考えてみたいと思います。
経済産業省が示す「人的資本経営」の考え方によると、組織における人材を、企業価値創造のための「資本」として捉えています。
「人的資本経営」とは、人材に積極的に投資をしていくことで、従業員エンゲージメントを高め、人的資本の価値向上により、企業の持続的な価値向上を目指す考え方です。
「エンゲージメント」とは、元々、「誓約」や「契約」を意味する言葉です。
ビジネスにおけるエンゲージメントとは、組織に対する愛着や貢献意欲と解されます。
ここで言う「従業員エンゲージメントを高める」こととは、従業員が組織に対する共感や愛着心を増やし、貢献意欲を高めることと言えます。
医療機関における人的資本経営の考え方について、以下の記事で詳しく解説しています。併せてご参考ください。
エンゲージメント向上には、従業員の「経済的自立」が必要
従業員エンゲージメントを高めるためには、従業員の幸福度(ウェルビーイング)を高める必要があります。
従業員の幸福度を高める要因のひとつとして、従業員の「経済的自立」が挙げられます。
納得感のある報酬や福利厚生が得られ、経済的な不安もなく働ける環境では、従業員の幸福度は上がるでしょう。
しかし、経済的な不安感は、従業員個々の金融リテラシーの程度によっても左右されます。
いかに従業員の金融リテラシーを高めて、経済的な不安を解消し、経済的自立を促して幸福度を高めるか。
金融教育の機会を与え、金融リテラシーを高めることが、従業員エンゲージメントを高めるカギにもなりそうです。
金融リテラシーと従業員エンゲージメントの関係

ここでは、MUFG資産形成研究所がまとめた3件の調査レポートから、金融リテラシーと従業員エンゲージメントの関係について探っていきたいと思います。
調査結果①:金融教育機会を提供することにより、エンゲージメントが高まる可能性
まず、2020年11月の調査レポート「従業員エンゲージメントと金融リテラシーの関係性について」では、以下のとおり報告されています。
「従業員エンゲージメントと金融リテラシー」
- 勤務先が金融教育の機会を提供している場合、従業員のエンゲージメント(勤務先推奨度)が相対的に高い傾向が確認できた。
- 金融教育を受けた人は金融リテラシーが高い傾向があると共に、金融リテラシーが高い人程、勤務先からの研修機会の提供を重要視し、機会が提供された場合に、勤務先への愛着や貢献意欲が高まると回答している。
- 企業が金融教育機会を提供することにより、エンゲージメントが高まる可能性があるといえる。
「金融リテラシー別の仕事観」
- 金融リテラシーが高く、年代が若い程、マネジメント職に就くことに対して前向きな傾向があり、自律的なキャリア形成への意識も高い。
- 50代以上のベテラン層については、金融リテラシーが高い程、終身雇用を望む人や、定年後も働く意欲がある人が多い。
引用:2020年11月 MUFG資産形成研究所「従業員エンゲージメントと金融リテラシーの関係性について」kinnyuu_literacy_12.pdf
調査結果②:経済的満足度が高いほど従業員エンゲージメントは高い
次に、2023年9月の調査レポート「フィナンシャル・ウェルビーイングと金融リテラシーとの関係- 2022年度の調査結果より -」では、以下のとおり報告されています。
「金融リテラシー・従業員エンゲージメントとの関係」
- 金融リテラシーが高くなるほど、金融資産が少なくとも満足度は維持される
- 経済的満足度が高いほど従業員エンゲージメントは高い
引用:2023年9月 MUFG資産形成研究所「フィナンシャル・ウェルビーイングと金融リテラシーとの関係- 2022年度の調査結果より -」kinnyuu_literacy_25.pdf
調査結果③:ファイナンシャル・ウェルビーイングは、1人あたり売上高や営業利益率と正の相関がある
最後に、2025年3月の調査レポート「従業員ウェルビーイングと企業業績の分析」では、以下のとおり報告されています。
「WB(ウェルビーイング)と企業業績の現状分析および予測可能性の検討」
- WB(ウェルビーイング)・FWB(ファイナンシャル・ウェルビーイング)ともに、1人あたり売上高と正の相関が見られた
- WB(ウェルビーイング)・FWB(ファイナンシャル・ウェルビーイング)ともに、営業利益率と正の相関が見られた
⇒従業員のWB・FWBは売上高・営業利益率と相関し、企業価値との関連性を示唆した
引用:2025年3月 MUFG資産形成研究所「従業員ウェルビーイングと企業業績の分析」kinnyuu_literacy_27.pdf
金融教育が医療機関にもたらす期待効果とは

ここでは、MUFG資産形成研究所の調査レポートから、医療機関が行うべき金融教育の必要性について考えたいと思います。
金融教育は自院の持続的な価値向上の可能性を増やす
前項で紹介したMUFG資産形成研究所の調査レポートから、
- 企業が金融教育機会を提供することにより、エンゲージメントが高まる可能性がある
- 経済的満足度が高いほど従業員エンゲージメントは高い
- 従業員のWB・FWBは売上高・営業利益率と相関し、企業価値との関連性を示唆した
ということがわかりました。
これを医療機関に置き換えてみても、同様のことが言えるかもしれません。
金融教育が医療機関にもたらす期待効果として、以下のことが挙げられそうです。
- 金融教育の機会を提供することで
- スタッフの金融リテラシーが向上し
- 自身の経済状況が把握でき、経済的不安感が減少し
- 勤務先への愛着や貢献意欲(エンゲージメント)が向上し
- 若年層は自律性向上によりマネジメント職へ前向きに、ベテラン層は定年後も再雇用による貢献心が向上し
- スタッフ定着率が向上、育成が進み医療の質が向上することで
- 自院の持続的な価値向上の可能性が増える
金融教育を取り入れて他の医療機関との差別化を
医療現場では、医療安全や感染対策等による医療の質向上が最優先課題となります。
スタッフ育成面においても、診療業務に関わる知識やスキルの向上を目指した研修が大半となります。
しかし、医療機関の価値を左右するのは、その医療機関で働く「人材の質」で決まると言ってもいいと考えます。
人材育成面において、「他施設との差別化」を図るうえでも、金融リテラシー向上を目指した金融教育を取り入れるのも一考に値すると考えます。
新たな施策を始めるときに大事な4つの視点

地域医療構想や医師の働き方改革の対応などで、多くの医療機関には金融教育などする余裕はないと思います。
そうした余裕のない状況で、新たな施策を始める際には、以下の4つの視点が大事になります。
- 思いつくことをすべて書き出してみる
- 書き出した全ての項目から、「できること」と「できないこと」を取捨選択する
- 「できること」のなかで優先順位をつける
- 優先順位の上位で、手の付けられそうな項目から着手していく
医療機関における金融教育施策例

金融教育と言っても難しく考えずに、まず手の付けられそうなところから始めていくのがいいと思います。
動き出してしまえば、次へと進んでいくものです。
現実的に考えられそうな施策の一例を挙げ、簡単に説明したいと思います。
- 新人オリエンテーションの説明を発展させる
- 財形制度等の利用を継続的にアナウンス
- 資産形成に関する専用相談窓口を設置
- 専門家によるスタッフ向け研修会を開催
施策例➊:新人オリエンテーションの説明を発展させる
年度初めに行う新人オリエンテーションの際、総務部門等から福利厚生の説明をする機会があると思います。
その機会を利用しつつ、通常の説明から少し発展させて、給与手取額とその使い方のイメージや、収支バランスの説明をすることで、社会人第一歩としての金融リテラシーが身に付きます。
施策例➋:財形制度等の利用を継続的にアナウンス
医療機関に財形貯蓄など福利厚生の制度がある場合でも、スタッフが制度の存在自体を知らずに利用につながっていないケースがあります。
総務部門など担当の部署から継続的に制度利用を促すアナウンスをしていくことで、制度の利用率が向上し、スタッフのエンゲージメント向上につながるかもしれません。
医療機関における財形制度の活用については以下の記事で詳しく解説しています。併せてご参考ください。
施策例➌:資産形成に関する専用相談窓口を設置
曜日や時間限定で総務部門に専用窓口を設置し、財形やイデコ等の活用によるスタッフの資産形成に関する問い合わせに対応することも施策として考えられます。
前項で書いた財形制度の継続的なアナウンスと合わせて考えると、総務部門の負担は確かに増えますが、長期的に自院の価値向上につながる可能性があるため、検討すべき施策と考えます。
以下の2つの記事では、個人型確定拠出年金であるイデコと、2024年に大幅に制度が拡充された新NISAに関する解説をしています。併せてご参考ください。
施策例❹:専門家によるスタッフ向け研修会を開催
組織的な金融教育の施策として、金融経済に関する専門家に講演を依頼し、スタッフ向けの研修会を定期的に行うことが考えられます。
2024年に設立されたJ-FLEC(金融経済教育推進機構)では、企業や学校などに講師(J-FLEC講師)を無料で派遣するという、金融教育に関する出張授業サービスを行っています。
授業内容は、基本的には、金融経済教育推進会議がまとめた「金融リテラシー・マップ」に沿って授業が行われますが、具体的な内容や時間について事前調整が可能です。
講師料や派遣に係る交通費も無料であり、講義方法も対面とオンライン両方から選ぶことができます。以下のリンクから詳細がわかりますので、是非ご検討ください。
まとめ

今回は、医療機関における金融リテラシーの向上及びその効果について考えてきました。
最後に、金融教育が医療機関にもたらす期待効果のポイントをまとめたいと思います。
従業員に対する金融教育で、
- スタッフの金融リテラシーが向上する
- スタッフが自身の経済状況を把握でき、経済的不安感が減少する
- 勤務先への愛着や貢献意欲(エンゲージメント)が向上する
- 若手スタッフは自律性が向上し、マネジメント職へ前向きになる
- ベテランスタッフは定年後も再雇用による貢献心が向上する
- スタッフの定着率が向上し、育成が進んで医療の質が向上する
- 自院の持続的な価値向上の可能性が増える
変化の激しい時代に、一般企業は人材の価値の最大化を図ることで、企業価値の最大化を目指しています。
医療業界においても、人材の流動化がさらに進んでいくものと見込まれています。医療機関の価値向上も、スタッフの価値向上なしには達成することは難しいと言わざるを得ません。
医療機関の相対的な強みの発揮には、スタッフの専門性の向上と同時に、その土台となる社会人基礎力や金融リテラシーの涵養も、ひとつの要素になると考えます。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
