労働施策総合推進法改正により、2026年10月を目途に、事業主はカスタマーハラスメント防止対策を講ずる義務を負うようになりました。
以前より多くの医療機関で頭を悩ませている患者・家族等からの著しい迷惑行為、いわゆるペイシェントハラスメントですが、実際にどのような対策を立てればいいのかお困りの医療関係者も多いと思います。
この記事では、医療機関で働く受付・事務などの現場職員が、実際にペイシェントハラスメント被害を受けた際の具体的な初動対応について解説します。
なぜ「初動対応」がすべてを決めるのか

患者さんや家族からの怒号、執拗なクレーム、威圧的な態度。
医療現場、とりわけ受付や事務職は、ペイシェントハラスメント(以下、ペイハラ)の最前線に立たされやすい職種です。
ペイハラが発生した際、その場の対応ひとつで
- そのまま沈静化するのか
- 逆にエスカレートし、職員の心身に深刻なダメージを残すのか
が大きく分かれます。
筆者が病院向けペイハラ研修で特に時間を割いてお伝えしているのは、
「ハラスメント対応で最も重要なのは、発生直後の初動対応の質である」
という点です。
現場職員が、初動で
- 一人で抱え込んでしまう
- 曖昧な謝罪や不用意な発言をしてしまう
- 記録を残さない
こうした対応が重なると、本来は「クレーム」で収まる事案が、ハラスメントへと発展し、結果的に職員も組織も守れなくなる可能性が高まります。
現場対応で必ず守るべき「5つの共通事項」

態様こそ様々ですが、ペイハラには初動対応で共通して守るべき原則があります。
医療現場がパニックにならないためにも、以下の5点は優先順位として頭に入れておく必要があります。
① 安全確保が最優先
患者等による怒鳴り声や威圧的行動、暴力の兆候がある場合は、対応よりも安全確保が最優先です。
確実に距離を取り、かつ、周囲に応援を求めることは「逃げ」ではなく、正しい判断です。
② 身体的被害があれば迅速に対応
患者等からの暴力や物を投げられたことにより身体的被害がある場合は、即座に医療対応を行います。
これを後回しにしてしまうと、時間の経過に伴い被害の立証や職員ケアが難しくなるからです。
③ 現場をむやみに変えない(現場保存)
被害現場で物が散乱した、破損があった場合でも、安易に片付けないことが重要です。
警察対応や事後検証において、保存された現場状況は重要な判断材料になります。
④ 証拠の収集・記録を意識する
後回しにせず、その場でメモ・記録を取る意識が重要です。
人の記憶は時間とともに曖昧になります。
⑤ 警察通報を躊躇しない
患者等から暴力・脅迫・明確な危険がある場合、警察通報は正当な選択肢になります。
現場職員の個人判断ではなく、組織として判断することが重要です。
【図解で理解】初動対応フローチャートの考え方

ペイハラ対応でよくある失敗が、「どう動けばいいかわからず、その場で固まってしまう」ことです。
そこで有効なのが、初動対応を“流れ”として決めておくことです。
基本的な流れは以下の通りです。
現場職員がハラスメント行為に気づく
危険があれば距離を取る・複数名対応へ
発言・行動をメモ、録音、写真などで残す
一人で判断しない
複数名で毅然と対応
警察・外部機関への相談も含めて判断
職員ケアと再発防止策へつなげる
重要なのは、「一人で完結させない」ことです。
初動対応は個人プレーではなく、組織対応であるべきです。
証拠能力を高める「ヒアリング」と「記録」の極意

事後対応のために、証拠収集と事案の記録化を直ちに行う必要があります。特に、民事訴訟や、告訴・告発など捜査機関への対応でとても重要です。
筆者がペイハラ研修でも特に強調しているポイントですが、記録を残す際、
- 「患者が激昂していた」
- 「強い口調で文句を言われた」
と、ついその場の状況を要約して記載してしまいがちです。
しかし、この要約した書き方はNGになります。
「生の言葉」で記録する
記録で最も重要なのは、相手の発言をそのまま書くことです。
- 「患者が怒っていた」
- 「『ふざけるな、殺すぞ』と怒鳴った」
この違いは、ペイハラ被害が発生した後に対処すべき
- 事実認定
- 管理職判断
- 法的対応
において、決定的な差を生みます。
ヒアリング時の注意点
ヒアリング時は以下を意識します。
- 5W1Hで整理する
- 誘導質問をしない
- できるだけ速やかに行う
- 言い換えず、会話形式で残す
以下、ヒアリング記録の一例を載せています。
記録用紙のフォーマットに「できるだけ生の言葉で具体的に」と最初から書いておくことで、実際に起きたリアルな状況を文字に残しやすくなるでしょう。
客観的事実の積み重ねが、職員を守る最大の武器になります。
| 項目 | 記載例・記入内容(できるだけ生の言葉で具体的に、感情や主観は分けて記載) |
| ヒアリング日 | 2025年5月16日 10:30 |
| ヒアリング担当 | 総務課 佐藤 |
| 被害者氏名 | 看護師A |
| 加害者氏名 | 患者B |
| 発生日時 | 2025年5月15日 13:20 |
| 発生場所 | 内科外来診察室前 |
| 事案の概要 | 診察室前で大声で電話している患者Bを看護師Aが注意した際、BはAに携帯電話を投げつけ、怒鳴り声をあげた |
| 被害者の訴え | 「威圧的な態度で怖かった」「説明を聞いてもらえなかった」 |
| 目撃者・同席者 | 受付職員C、患者D |
| 具体的な発言・行動 | Aに携帯電話を投げつけ、「うるさい」「何様だ」と大声で怒鳴る |
| 被害者の心身状況 | 「動揺し、しばらく業務に戻れなかった」 |
| その後の対応 | 上司に報告、医療安全委員会へ連絡 |
| その他特記事項 | 目撃者Cもヒアリング予定 |
活用すべき「証拠化」の具体的手段

ペイハラ被害の証拠化において、証拠は一つより、複数を組み合わせることが重要です。客観的証拠を複数収集し、証言の信頼性を高めることができるからです。
代表的な証拠化手段は以下になります。
- メモ(時刻・発言内容)
- ICレコーダーによる録音
- スマートフォンでの録音・写真
- メール・書面でのやり取り
しかし、上記の手段があることを理解していたとしても、「実際に録音していいのか分からない」という現場の迷いが、初動対応を遅らせる最大の要因にもなります。
そのため、以下のように事前にルール化しておくことが、現場を守る前提条件になるでしょう。
- 受付にICレコーダーを常備
- 個人のスマホ録音の使用ルールを院内で明確化
ペイシェントハラスメントは、発生した瞬間の対応が被害拡大を防ぐ分かれ道になります。
本記事で解説した内容を、現場ですぐ使えるチェックリストとしてまとめました。
- 受付・事務カウンターに貼れる
- 新人職員・派遣職員・業務委託職員への共有にも最適
- 医療安全研修の事前配布資料としても活用可能
まとめ|安全配慮義務を果たす組織へ

本記事では、現場職員がペイハラ被害を受けた場合に取るべき初動対応に特化して解説してきましたが、医療機関が組織全体として取り組むべき包括的な対策については、『ペイシェントハラスメントにどう対応する?医療機関が押さえるべきリスク管理と対策策』をご覧ください。

ペイハラ対応は、職員個人の頑張りで解決できる問題ではありません。
職員が安心して働ける環境を整えることは、医療機関に課せられた「安全配慮義務」そのものです。
- 相談体制が整っているか
- 管理職が即座に関与できるか
- 被害職員へのケアが用意されているか
こうした体制があってこそ、初動対応は機能します。
▶ 安全配慮義務とペイハラ対策の全体像については、以下の記事で詳しく解説しています。

なお、本記事で紹介した内容は、独立行政法人病院グループ等で実際に行っている研修内容をもとに整理した実務ノウハウです。
研修・院内体制整備をご検討の医療機関様は、登壇実績ページもあわせてご覧ください。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
